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〜先日遊びに来たジャワ留学が決まったやぶちゃんに話した、ジャワの先生のエピソードの続き〜


20年近く前,ソロの郊外にあるS先生の家へ、2ヶ月間舞踊を習いに通った。風神の子である勇者ビモの飾りがある鉄柵を入ると,古い赤いバンが停まっていて,中庭にはナマズを飼っている池がある。鳩の小屋もある。横には、背の高いパンノキがあって、時折天狗のうちわのような巨大な葉っぱが勢いよく落ちてくる。少し薄暗い居間へ入ると,緑の薄いカーペットの上にガムランが並んでいる。壁には、若かりし先生が正装した写真が掛かっている。ヒンヤリとして鈍く光った床の上でレッスンを受けた。汗がタイルに滴り落ちた。犬が横切ると,先生はキックを入れる。踊りのことなんて,まだまだ何も分からなかった。先生や先生の家に下宿していた芸術高校の生徒だったN君に言われるがまま、ただ汗を流した。

S先生といると、魔法使いのように思えた。もちろん、舞踊はうまいし、楽器もとびっきりうまい。それだけじゃなくって、ちょいとヒゲをさすれば,ジャワのごちそうが出てくるし、ウィンクをすれば,鳩が舞い降りてくる。動かなくなったバイクもちちんぷいぷいと直すし,ちょっとした病気もツボを押して治しちゃう。音楽,ダンス,動物,バイクや車,おいしい屋台,近所のおじさん,王女様,影絵芝居の登場人物、誰とだって,何とだって,ツーカーで自由自在にコミュニケーションできるようだった。まあ、こちらがジャワのことが全然分かっていなかったと言うのこともあるが・・・。でも、いまでもその印象は変わらない。こんな人になりたいと思った。

2ヶ月の滞在は、あっという間に過ぎた。舞踊で使う盾と剣を持って,帰国した。しかし、いまだにその盾と剣を使って人前で踊ったことはない。ブナのおもちゃになっている。ジャワ舞踊は、2ヶ月習ったくらいでは何もものにならない。それでも、もっと本格的にやってみたいなあ,という気持ちがジリジリと高まった。それから少しして,日本でB先生と運命的な出会いをして,留学の決心をするが、その話はまた別の機会に。それから3年経って,僕はジャワへ留学することができた。留学中,ジャカルタに住んでいるTさんのところへ遊びに行ったとき,こんな話を聞いた。

Tさんも、以前はジャワ舞踊を習っていて,S先生とも親しい。僕がレッスンを受けた直後,S先生のところへ遊びに行って,僕の話になったらしい。「サクマが舞踊を習いにきたんだって?どうだった?」とTさんが聞くと,S先生は「Ada kemungkinan.」と答えたそうだ。adaは、あるの意。mungkinは、ふつうは「たぶん」という意味で使うが,keとanが付けば,可能性という意味になる。「可能性あり。」ということ。うれしい言葉だった。


留学をはじめて2年半が過ぎた頃,僕はプジョクスマン舞踊団の週3回ある定期公演にレギュラー出演するようになっていた。日本人の僕がこんなところで踊ってもいいのかな?お客さんは,外国人が踊っているのは見たくないんじゃないかな?などと迷うこともあったけど,僕はすっかりジャワ人の中に入り込んで,舞踊三昧の日々を過ごしていた。裸電球の下で,すり切れて湿ったビニールのござの上に座って,メイクをし、緑色のカネ製の机に用意された衣装を身につけた。前奏が始まると,薄暗い楽屋裏で、革のかぶり物を1回ギュッと締め直して,プンドポ(舞台)へと静かに歩いて進んで行った。

そんな時期,ある日プジョクスマンのプンドポで,若い舞踊家が集まって練習していると,N先生がやってきた。小柄で柔道家のようにがっしりとしているが,機敏な身のこなしをする芸術高校の舞踊科の先生。14世紀に栄えたパジャパヒト王朝の宰相ガジャマダのような、太陽の塔の彫刻のような、目と唇が力強い表情の人、今は芸術高校の校長先生になっている。そのN先生がプンドポから少し離れた階段に腰掛けて,何人かで談笑している。しかし時折,ギラリと目が光っている。こっちの練習が一段落付くと,僕の方へやって来て,言った。

「Mas Shin, akhir-akhir ini kok tidak ada kemajuan sama sekali? (マス・シン 最近,なんで全く進歩がないんだ?)」

かなりきつい調子だった。目の前が真っ暗になった。こんなことを言われたのははじめてだった。ジャワ人同士でも,舞踊の先生は教えるために生徒のからだに触れる時,「Maaf, ya(ごめんなさいね)」と言ってから、指先で肝心の骨のところをちょこっと押す。そんな温厚なジャワの先生が,こんなきつい調子になるのはとても珍しいことだ。

何日もこの言葉が頭をグルグル回った。それから、1年近く経っただろうか。プジョクスマンのメンバーで芸術大学の学生だったA君の卒業祝いのパーティが,プランバナン寺院近くのA君の実家であった時,N先生を含めて3,4人の輪ができて,ゆったりとしたおしゃべりの場になった。ジャワの田舎の家のヒンヤリとした床に座って,甘いコーヒーを飲みながら,茹でピーナッツの皮を剥く,丁字タバコの甘い匂いが漂う。N先生は,すっかり僕をジャワ舞踊の仲間として感じ始めているような接し方をしてくれた。とてもうれしかった。あの時に言葉は、そういうことだったのだ。もう、お客さんとしてではなく,本気で舞踊をする仲間として接するよ、そういう叱咤激励だったのだろう。

本気で自分を信じてやれば,そこには可能性がある。しかし、その目指す道はそんなに簡単なものではない。
(佐久間新)

# by kasakuman | 2010-06-15 14:01
4月12日
野村誠さんと藪久美子さんを迎えにJR亀岡駅へ。前日に、京都の下鴨神社で結婚式をしたそうだ。やぶちゃんは、結婚してもやぶちゃんでいくらしい。車で我が家まで20分。ソト・アヤム(ジャワ風鶏肉の酸っぱいスープ)を食べて,我が家からすぐのスペース天であるマルガサリの練習へ。ガムランの伝統音楽をしたり、即興パフォーマンスをしたり。天のまわりには,オーナーの黒田さんが植えた300本あまりの桜があって満開だったが,残念ながら雨模様。

やぶちゃんは夏からジャワへガムラン留学することになっている。去年までは,イギリスのヨーク大学に留学して,コミュニティ音楽で修士を取ったばかり。ヨーク大学でガムランに出会ったのだ。イギリスはジャワのガムランが盛んなのだ。僕と野村さんも,エジンバラ大学でジャワガムランを使った創作のための講義をやった。野村さんとやぶちゃんは、その時に出会ったのだ。イギリスからジャワへ行くと、かなりのカルチャーショックだろう、ということで、ジャワのエピソードをいくつか紹介することにした。

先生の家へ遊びに行く、の巻

僕は舞踊やガムランの先生の家へ遊びにいくとき,アポは取らない。いきなり行くのだ。その方が,いさぎよい気がする。無駄足を踏む覚悟。そもそも僕が留学当時,ジャワにも日本にも携帯電話はまだなかったし、ジャワの多くの家には、固定電話もなかった。何人かの先生の家には、電話があったが,それでもたいがいはアポなしで行った。ただ、先生の邪魔にならないように,先生や家族の行動やスケジュールを予測して,曜日や時間の狙いを定めた。月曜日の夜8時頃だったら間違いない、とか。空振りすることもあったが,出直せばいい。ジョグジャは狭いんだし・・・。で、だいたいは外れなかった。ジャワの普通の人たちもこんな感覚だったんじゃないだろうか。先生の家に着くと,子どもやお手伝いさんが出迎えてくれ,入り口近くの応接間や椅子で待つことになる。甘いお茶やお菓子,時には揚げ物や果物が出てくる。でも、それには手を付けない。3回くらいはすすめられないとね・・・,なんだか日本人みたい。

たとえば、こんなことが何度かあった。男性舞踊の名手のP先生を訪ねると、まずは奥さんが出てきた。お茶をだしてくれて,応接間で待つことに。家族の写真などを眺める。しかし、P先生がなかなか出てこない。中にいるのは、気配で分かるんだけど・・・。途中でバシャーン,バシャーンと水音が聞こえたりもする。2、30分すると,ようやく濡れた髪にくしを当て,ぱりっとしたYシャツに着替えた先生が登場するのだ。よくやってきたと言って,握手をする。いい香りが漂ってくる。

何年か経って,P先生とかなり仲良くなってきたあるとき、こんな話をしてくれた。あのね、僕はほんとは丘の上の大きな家に住みたいんだよ。で、家の前のベンチに腰をかけて,ゆっくりとくつろいでいると,マス・シン(マスはジャワの敬称)がバイクに乗ってくるのが,遠くから見えるんだよ。そうすると、僕はマンディ(水浴び)をする。ゆっくり着替えていると,マス・シンがちょうどやってくるんだ。小さくても一国一城の主が客人を迎える、そんなのが理想なんだよ,と小さな家の小さな応接間で語ってくれた。P先生の舞踊には、なんともいえない風格が漂っている。いつもこころの中に、ワヤン(影絵芝居)に出てくるヒーローが住んでいるのだ。

女性舞踊の大御所のT先生を訪ねる時はこんな感じ。お宅は、貴族の屋敷の敷地内にある。熱帯の陽が少し傾くと、子どもたちは鳩を空に放つ,尾っぽの笛がブーンブーンと青空に旋回し始める。僕は,約束していたレッスンの時間に、先生の家を訪れる。こんな場合は、もちろんアポあり。お手伝いの女の子に、僕が来ていることだけを伝言して,練習をする貴族の屋敷の一部であるプンドポ(ジャワの東屋)へ行く。待てど暮らせど、先生は来ない。1時間くらいはざらである。でも、この時間がなんともいいのだ。プンドポの天井の中心部には、繊細な彫刻が施されていて、1900という数字も読み取れる。100年間,何千人もの舞踊家が汗を流した舞台なのだ。その端っこに腰を下ろして本を読んでもいいし,ストレッチをしてもいいし,ただただボーっとするのもいい。たゆたう風を感じ,床や柱の感触を感じ,過去の舞踊に思いを馳せる時間。ジャワ舞踊には,1演目が2時間を越えるものもある。そんな舞踊を踊るには、それなりの時間感覚をからだに染み込ませる必要があるだろう。そんなことを知ってか知らずか,T先生は、サンプル(踊り用のスカーフ)を片手に,なにくわぬ顔でゆったりと登場するのだ。僕の経験上,ジャワの先生たちは直感的に,必要なことが分かっているのだ。マス・シンには、こんな時間が必要なのだと。

つづく。
(佐久間新)

# by kasakuman | 2010-06-14 14:49
2月21日
地下鉄御堂筋線動物園前で下りて地上へ,路上に露天が並ぶ。僕はダッシュをしながら「南海の駅あっち?」と聞くと、おっちゃんが笑って「あっちや!」と答えてくれる。南海新今宮駅の3階まで駆け上がると,インドネシア研究家の青木恵理子さん、染織家の林紕さ子さんがホームに。バリガムランギータクンチャナ代表の小林江美さんは、改札の外で待っていてくれた。危ない危ない,遅刻寸前,なんとか間に合った。格安チケットを購入してくれていた江美さんにどやされるところだった。

橋本で乗り換え,単線の線路が山をくねくねと登っていく。極楽橋からはケーブルカー。高野山駅は標高900メートル近い。でも、そんなに寒くなかった。バスで蓮花谷下車。今晩お世話になる宿坊成福院に到着。インドの笛バーンスリー奏者のHIROSさんが昨日から泊まり込んでいて,迎えてくれる。部屋は,別館の豪華な部屋。宿坊とは言うものの,豪華な旅館のよう。去年に引き続き,Gamelan Aidの高野山会議。厳冬の高野山に泊まり込んで,霊性を吸い込んで,時間を気にせず,飲みながらとことん話し合おうという趣旨。あるいは、ということを口実にした宴会。

早速風呂に入って,からだをほぐそうということに。大阪大学の諏訪晃一さんとGamelan Aidで卒論を書いた秋山君もやってきた。まずは、江美さんがやっている足指ほぐし。難しかったが,足の指を全部組み合わせて、あぐらをかくと、悟りが開けそうだった。続いて,僕がやっている背骨の活性化体操。寝転んで背中をそらせて、背骨の一番下を床につけたところから。1センチずつくらいつくところを上にずらしていく。つくところはなるべく1点になるように。首の付け根までゆっくりあげていく。一気に5センチくらい動いてしまったら,行きつ戻りつしながら進めていく。今度は,首からお尻へ。何度か往復させる。なかなかもどかしいが、とても気持ちがいい。

なんてことをしてると、あっという間に,ご飯の時間。精進料理だが,とても豪勢。名物は、高野豆腐とごま豆腐。気のせいか,去年の方がおいしかったような・・・。それでも、お腹いっぱい。部屋へ戻って、いよいよ会議開始。超多忙の中川真さんが最後にやってきた。今年のGamelan Aidの予定を中心に話はあっちへ行ったり,こっちへ行ったり。ガムランを輪に緩やかに結びついた人たちが共有できることもなんとなく見えてきた。ちびりちびり飲みながら2時近くまで続いた宴会会議の間中,諏訪さんは速記者みたいにキーボードを叩き続けた。馬鹿話もいっぱい入っているんだろうな。どこかで公開されるんだろうか。

2月22日
朝の勤行はスルー。自宅にいると6時過ぎ、ガバッと起きたブナに「パパ、ご飯作ってや!!」と、叩き起こされるので・・・。冷えきった宿坊で,分厚くて重たい布団で寝るのは本当に心地いい。8時からの朝食をいただく。月曜日なので,忙しい社会人たちが帰っていく。残ったのは,ヒマ人のビンボーゲージツ関係、HIROSさん、江美さん、紕さ子さんと僕。ゆっくり散歩に出かける。去年は奥の院へ行ったので,今年は金剛峰寺の方へ。ゆるんだ土の道につく足跡を楽しみながら進んでいく。空気が澄んでいく。

視界が開けると,朱色の根本大塔が目の前に。

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シュリン、シュルリン、シュルシュル

と、軽やかなささやきが聞こえる。なんだろう。上を見上げると、屋根の4角に鐘のようなものがぶら下がっている。

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さらに上空を見上げると、青空に、雲がすごい勢いで流れている。塔のてっぺんのアンテナのような部分、相輪にも小さな鐘がたくさんぶら下がっている。

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はるか上空なのに,耳元でささやいているように聞こえる。塔の正面に回って、手を屋根の形に沿わせてみる。相輪の上まで伸ばして,ついでに伸びをする。背骨が伸びて,塔とすこし一体化できる。

シュリン、シュルリン、ギイ

時折,我が家の小桜インコのパリノが鳴くように,ギイと、つっかえる。これは、どこかで聞いた音ではないか。ああ、そうか。「サンズイ」の音だ。僕が進めているダンスと音楽が一体化するプロジェクト「サンズイ」の中で聞こえた音だ。風に揺らぎ、動き,音が生まれる。そこにあることを、感じる。すべてを受け入れる。ただそれだけ。

前夜の宴会議中、江美さんが突然、「誰かおるで、ここに。」と、自分の脇を指差した。小さな話し声が聞こえると。耳を澄ますと,確かに妙な音がいろいろ聞こえた。そして、時折,寸断するような音も。「魔法瓶がなってるんちゃうん?」ってことでその場は片付いた。

ああ、この音だったのか。地図で確認すると,ちょうど1キロくらい離れているけど、きっとこの音だろう。広い境内には,僕ら4人しかいない。時折,低く響く読経の声、笛の音も聞こえる。標高900メートルの霊場高野山,きっと相輪の鐘,読経の響きのほかにも、いろんなささやきが風に乗って飛び回っていたのだろう。

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ちょっと不思議な雲。
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ヒマ人ゲージツ関係。
バイバイ高野山。
(撮影者:林紕さ子さん)
(佐久間新)

# by kasakuman | 2010-02-23 11:32
2月15日(月曜日)18時過ぎに船場アートカフェ到着。今日は,船場マンスリーカフェの僕の担当日。大阪ピクニック夜編。去年,春と秋に大阪ピクニック01と02を行った。いずれも3日間シリーズで、1日目作戦会議、2日目ピクニック、3日目映像上映という流れだった。今回は,1日だけのショートバージョン。

19時過ぎには,参加者が全員集合。大阪市大商学部のHさん、文学部のSさん、神戸大学大学院のMさんとNさん、写真家のTさん、ボーカリストのTeNさん、ボイストレーナーのKさん、歌が得意なNさん、そして映像担当の本間直樹さんと船場アートカフェの高岡伸一さん。まずは、それぞれ自己紹介。ピクニックに行くんだから,仲良くならないと。それから、I-Picnicの映像上映。「STAMPOK PARK」「BY THE DANUBE」。ハンガリーの子どもとの即興とドナウ河畔での佐久間新+野村誠+藪久美子の即興。映像は、もちろん野村幸弘。

それから、みんなで動いてみることに。僕はこういうワークショップをする時は,なるべく事前に決めないようにしている。その場とメンバーの雰囲気を見ながら,なるべく即興的にワークショップを進めていく。スタジオの壁に、縦にスリットの入ったカーテンがグルリとかかっている。結構繊細な動きをしそうだったので,それに触れてみることから始めた。そっと触れてみたり,戯れてみたり。みんな入り込んでやっている。まだまだやりたそうだったけど,スタジオの外へ。今日は,ショートバージョンだからある程度さくさくと行こう。
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これは、前にも少しやったことがあるんだけど。船場アートカフェの地下の踊り場の気持ち悪さを体験。そこだけ天井が異様に低くなっているので,かなり圧迫感がある。音や光の感じも変わってくる。背の高さでもかなり違うみたい。そして、ビルの入り口へ。自動ドアがある。中からは反応するが、外からは開かないタイプ。ひとりずつ近づいていって,センサーが感知しないギリギリで止まる。順番に人数を増やしていって,センサーの届く範囲をみんなのからだで描く試み。途中で外へ出て見てみたが,かなりおかしい。見えないものを感じて,からだであらわすのも、ダンスの大切なこと。

外の世界へ。路地の角を曲がると,御堂筋から風が吹いてくる。店先のシャッターで風宿り。大通りからは,車の音が、信号が変わるたびに通り雨のように聞こえてくる。夜の御堂筋を歩く。TeNさんが、ヘッドライトに流されると言って下流に流されていく。光の川。横断歩道をわたって,西側へ。「夜のビル街って、走りたくならない?」って、僕が聞くと,Kさんがうなずくので,ふたりでダッシュ。みんなもついてくる。止まった横には,壁一面がライトアップされた不思議なビル。のっぺりとした壁面に,光によって微妙な陰影が生まれている。かなり美しい。柵が無かったら,入り口前で踊るんだけどなあ・・・。柵のところで,声を壁に放り投げたり,寝転がって壁を見上げてみたり。大きなビルの前では,ビルと一体化したついでに伸びをしたり。
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御堂筋は、西端1車線、小さな中州,4車線,小さな中州,東端1車線、全部6車線、幅40メートル、長さ4キロの大阪のメインストリート。南向きの一方通行。中央大通りの北側は,オフィス街。みんなで中州の北端に立って、タイタニックごっこ。ヘッドライトの光の波を味わう。股のぞきをすると,光が全然違って見える。振り向くと,何百個の赤信号が一斉に青に変わる。一方通行なので,前には信号の光が見えない。中州には、まっすぐ伸びるイチョウ、身をくねらせるイチョウ。上には車が,下には地下鉄が走っている。イチョウはどんな音を聞いているのか?
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巨大な建設中のビル前,地下を塞いだ鉄板の上で,足を踏みしめたり,音を壁に放り投げたり。40メートル向こうのビルにも音が当たって返ってくる。おしくらまんじゅうしたり,走り回ったり,かくれんぼしながら,移動していく。みんな、だいぶからだが軽くなったみたい。まだまだ続けたかったけど,今日はショートバージョン。「横断歩道をわたったら、いつもの世界に戻ったことにしよう。」と言って,横断歩道を渡るんだけど,簡単に元には戻れない。神戸大学のNさんといつまでも足音で遊び続ける。

船場アートカフェに戻って,質問とアンケートタイム。Mさんが、「気持ちのいいところへ行って、感じるところまではできる。そこから後もう一歩、踊るっていうところに・・・。」そう、そこがね、難しいと感じるかもしれない。でも、感じることさえ出来たら,僕は難しくないと思う。こころが揺らぎだせば,それはもうダンスなのですよ。Mさん、また一緒にピクニックしましょう。今年は,神戸でもピクニックをする予定です。
# by kasakuman | 2010-02-19 11:52
ブナが微熱で保育所を休む。4月からの小学校がそれなりにプレッシャーになっていて,朝早く起きたりなにかと疲れがたまっているのだろう。まあ、暖かい雨も降っているし,僕も時間があるので,今日はのんびり家で過ごそう。窓から雨を覗くと,向かいの山に(675メートル)にガスが下りて来ている。雨降りには、枯れ葉や伐採した枝を燃やす家が多い。煙の青が、ガスの乳白色に混じっていく。


「梅の匂いがする。」とブナ。
「エー,まだやろ。」と僕。

んっ!裏庭の橋を見ると、なんと梅がほころんでいる。ブナが得意そうな顔をしている。この間は、ロウバイの匂いに、ほぼ同時にふたりで気づいたのだった。昼ご飯は豚汁。歩いて1分の藤細工の工房へパートに出ているイウィンさんが帰って来てので、3人で昼食。

夕方から、僕は京都のJEUGIAカルチャーでジャワ舞踊教室。いつもよりちょっと早めに出て,2件の展覧会へ出かけた。1件目は,中村伸さんが教えてくれた展覧会。

(のびるさんのをコピーします)

・・・ ・・・

「而上其心(にしょうごしん) 石田智子展」
2月5日(金)〜2月21日(日)まで、
京都の「ギャラリー素形(すがた)」で開かれています。
福島のお寺の住職と結婚した現代美術の作家で、
檀家の方などからいただく品々の包装紙を捨てるに忍びなく思い、
それらを素材にした造形の数々を手がけています。
ファイバーアートというのでしょうか、
紙を細かく切って縒ったものだけを使って宇宙をつくる。
前に近江八幡の旧家で展示したものを見たのですが、
一瞬で重力がなくなったような気がしました。
ご主人は、わりと売れている作家なのだそうです。
●ギャラリー素形 中京区室町二条下ル蛸薬師町271-1
 www.su-ga-ta.jp 月曜定休
 tel 075-253-0112

・・・ ・・・

室町通に面してガラス張りのきれいなお店兼ギャラリーがあった。奥まったギャラリーに入っていくと,鳥の巣がたくさん集まったように、短い直線が集まって出来た曲線がひとつの固まりになって宙に浮いていた。近寄っていくと,紙で出来た白いこよりだった。5万本あるという。

室町通を下って,三条通りへ出て川端通を南へ下った。四条をすぎたところで車を停めて,2件目のギャラリーへ向かった。久々に電話した本間妙圭さんが教えてくれた展覧会。

高見晴恵ーインスタレーションー
2月6日ー2月14日
楽空間 祇をん小西 東山区祇園花見小路四条下ル西側
www.gionkonishi.com
tel 075-561-1213

いわゆる祇園のど真ん中。町家のギャラリー。入っていくと賑やかな京都弁の作家が、僕の前に入った芸大の教授風の男性を案内していた。僕も一緒に入っていった。通りに面した薄暗い日本間に座る。ふすまを挟んで隣と、その奥に作品がある。雨降りの6時は薄暗いので、電気の消された室内はかなり暗い。目が慣れてくると,革の切れ端のような黒っぽい細くて短い曲線が、絡まった干し草のように床に敷き詰められているのが見えてくる。しばらくいると、白いふすま、障子に映る影,どこからか漏れてくる明かりが作り出す微妙な陰影の変化が分かるようになってくる。そこへ、細かな格子の影が大きさを変えながら部屋の中を移動していく。外を通る車のヘッドライト。

見終えてお茶をいただいた。紺とグレーを張り合わせた厚手の生地を、はさみで1本1本なるべく細くなるように、1年かけて切っていったそうだ。日光やヘッドライト,見る人の感覚と会話する作品。寡黙だけど,雄弁な作品だった。高見さんの京都弁が心地よかった。

美術を見ると勇気づけられる。揺れるだけだって,立っているだけだって,ダンスになるはずだって。
(佐久間新)
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# by kasakuman | 2010-02-11 00:30
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